新入部員自己紹介 大谷佳乃子

 はじめまして。新1年マネージャーの大谷佳乃子です。

 私の出身校は清泉女学院という学校で、小学校は1クラス男7:女32の一応共学で、中学になると、女子はそのまま上がり、中学受験組と合流し女子校となる一貫校です。内部進学だった私は何一つ苦労することなく圧倒的ホームで変化することない環境の中でぬくぬくと育ちました。そのせいか気付いた時には清泉という小さな世界しか知らない、時代にそぐわない世間知らずな娘になっており、このままではダメだ、大学では色んな世界に飛び込もうと考えはじめました。そんな時にたまたまTwitterのおすすめにでてきた柔道部を見て、知らない世界に飛び込んでやる!と勢いでDMを送り今に至ります。
 ですから、私は柔道未経験、ルールも分からないという状態で現に先輩方にかなりご迷惑をおかけしていますし、ここでも皆さんの様に柔道について語れないので、ただただ自分のことについて書きます。

 中高はバスケ部に所属しており、部活の人からはぶりっこだねとよく言われていました。(いじめられていたわけではないです)可愛いものが好きで持ち物にピンクが多かったり、少女漫画のヒロインや秋元真夏さんしか許されないような言動をしていたからだそうです。ですが、ありがたいことに、女子校でぶりっこをしたとしても無意味だから許せる、共学ではするなよ、と容認されていました。
 バスケ部は厳しい上下関係、理不尽なルールが沢山あり先輩も先生も怖かったですが、中学生の頃はとにかく部活が大好きで友達と終礼を抜け出して早く部活に行ったり部活後も家でドリブル練習したりオフの日は市民体育館でシュート練をしていました。しかし、あまり上達せず、高校の時にスタメンを外されてしまいました。それでも試合に沢山出させて貰いましたが、テーピングをしたりスコアを書いたり、みんなをサポートするのが楽しくて何かのマネージャーもしたいなと思う様になり、大学生になってバスケを続けるかマネージャーをするかでとても迷いました。そして最終的には上記で記した動機から柔道部の門を叩くに至った訳ですが。

柔道部は関西の方が圧倒的に多く、西の勢いに少々慄いています。特にみなさん冗談が多いので、中高時代友達の冗談を真に受けて騙されまくっていた私にとっては嘘か誠か判断するのにとても苦労しています。たまに冗談に対してマジレスしてしまい場の空気を凍らすことがあるかもしれませんのでその時はどうぞよろしくお願いします。

新入部員自己紹介 古川裕也

はじめまして。このたび東大柔道部に入部いたしました、1年の古川裕也です。出身は奈良県の西大和学園と言う高校で、東大では文科3類に所属しています。趣味はポケモンと読書です。受験期にポケモン達と戯れていたところ、ディアルガによって時空を歪められてしまいました。もしかしたらさばきのつぶてかもしれません。柔道部の先輩方を見ていると、大学に入ってから時空が歪むこともままあるようなので、年末に発売されるダイパリメイクはシャイニングパールの方を買おうと思います。

 

部活動の経験としては、中高では将棋部に入っていました。入部当初は、序盤の手筋を固め、詰将棋を解き、対局が終わった後は感想戦で悪かったところを見直すという作業を続けることで成長できていたのですが、徐々にめんどくさくなってきて、実戦練習しかしなくなりました。その結果、大会では苦手な戦型を組まれると瞬殺されたり、詰めの手筋を見落として逆転されるなど、自分の弱さを突きつけられるような負け方が多かったです。このように、勉強でも部活でも辛いことを避け続けてきた己の人生を恥じ、自分を鍛え直そうと思い、柔道部の門を叩きました。

 

柔道部の練習は、これといった運動経験も無い自分にとっては、中々やりごたえのあるものでした。初めはこれまでの人生で得た反省を生かし、頭を使って努力を積み重ねていた気はします。しかし暫くするとまた悪いクセが出てしまい、柔軟や筋トレなどの体づくり、動画研究などの反省と復習を疎かにし、日々の練習をこなすだけになりかけていました。また、学業の方も決してほめられた成績では無く、ディアルガの咆哮が後ろから聞こえて来ています。やはり歴史は繰り返すものですね。ときのほうこうで1ターン休みはなんとしても避けたいです。今からの夏練で悪い流れをあくうせつだんして、秋からは勉強も柔道もPCDAサイクルをしっかり回して行きたいと思います。

 

夏練の抱負としては筋トレと増量、技術の定着を死ぬ気で頑張ります。長くなりましたが、次の大谷に回したいと思います。

 

新入部員自己紹介 河本理倫子

はじめまして。新一年生の河本理倫子(こうもとりりこ)です。岡山県の岡山白陵高校出身で、現在は国際基督教大学に在学しています。

中学一年生の時に、幼馴染の柔道一家の女の子の影響で柔道部に入部しました。入部当時、女子部員は彼女と私の2人だった上、男子と同じメニューをしていたため運動経験のなかった私にとっては信じられないほど厳しいものでした。何度も辞めようと思いましたが、辞めるにはひたすら顧問と乱取りをして絞め落とされたり、まわされなければいけないという儀式(もう時効だと思っています)があったため、毎回直前で踏みとどまっていました。ちなみに、高1の時に退部した同級生は先生との乱取り中に突如逃亡しました。
現役時代は毎日早く引退したい、引退まであと○○日もあるなどと言っていて、大学生になったら絶対柔道なんか一生やらない、女の子になろうと決心していました。しかし、気がつけば東京大学柔道部に入部していました。
COVID-19の影響で、引退試合がなくなり不完全燃焼に終わったこともありますが、文句を言いつつも、結局のところは柔道好きだったんだな、自分。と、最近感じはじめました。

先日、帰省した際に中高の顧問には『お前ほんまにドMやな。ドMの鏡や。』と散々言われましたが、自分でも自覚はしてます。
極度の負けず嫌いで、相手がどんなに格上であろうと負けたくないと思ってしまい、高校時代、試合のみならず練習でもたくさん泣いてました。あの頃より成長してもう泣かないようになっていると信じたいですが、おそらくこれから先の練習で泣いてしまう機会があるかと思います。それでも、気にせずばんばん投げていただけたら嬉しいです。最後に、東大柔道部に入部した以上、寝技も立技も完璧にできるような選手になりたいです。

ここまで読んで頂きありがとうございました。よろしくお願い致します。

新入部員自己紹介 堂下陽風

はじめまして。一年で理科二類所属の堂下陽風です。珍しいので下の名前は間違えられる以前に読んでもらえないことも多いのですが「はるか」と読みます。入試直前にあまり勉強した気がしなかったので入試の時にこれはヤバいなと思いましたが見事現役合格していました。しかし勉強する習慣が身についていないので入学後の勉強が地獄で単位が取れるか心配です。そんな僕は三年の世羅先輩と幸田先輩や二年の岡本先輩と同じ灘高校出身で柔道歴は中学から高校までの六年弱です。灘といえば勉強のできる秀才が集まっているというイメージを持っている人が多いかもしれませんが勉強はできるがアホなこともやらかしてしまうような賢いバカも結構多いです。悲しいことに僕は後者寄りですね。柔道を始めたきっかけは中一の時でまだ部活を決めていない時に授業中に先生の勧誘を受けただけという大したことのないものですが入部して練習をやっているうちに柔道は疲れるししんどいけど楽しいものだということがわかりました。こう思えたのは灘の柔道部はそんなに厳しくない環境だったことも大きいでしょう。そして高三になって引退した後には大学に入ってから何も運動しなければダメになりそうだけど今更他のスポーツなんか出来ないから大学でも柔道を続けようと思っていました。実際に入学した後柔道部の練習に参加してみたら高校までの柔道とは違う寝技中心の柔道に触れてその技術を自分も身につけて使ってみたいと思いました。まずはその技術を学ぶために夏練に本気で取り組みたいと思っていますが何分中学高校の柔道部の練習が緩かったのでその緩さに慣れた自分の体がこの夏練についていけるかが心配です。また先輩に増量しろと言われているのですが太りにくい体質なのでそこも努力したいです。最後に言いたいことを言っておくと同期の部員が少ないのでもっと体験だけでも来て欲しいです。これで自己紹介を終わります。文章力の無さが露呈しているような駄文をここまで読んで頂いてありがとうございました。

新入部員自己紹介 末広多聞

こんにちは、初めまして。末広多聞(すえひろたもん)と申します。所属は理一で学年は2年です。下の名前が珍しいとよく言われるのですが、日本酒の名前になっていたり、武神である四天王の一尊に多聞天がいるぐらいなので、名前に恥じらいを持ったことは無いです。しかしながら、大のプロレス好きの父によると、僕の名前はプロレスラーで「原人」と言われた本田多聞から名付けられたらしいです。本当にすごくいいお名前を頂いたと思います。

名前の事はここまでにして、自分がどんな人間か紹介します。僕は大阪星光学院という中高一貫の男子校出身で、柔道は中学から始めました。得意技は大外刈りで、組み手にこだわる柔道が好きです。中高時代は一つ上の先輩に強すぎる先輩がいたので、その先輩に毎日ボコボコにされ、加えて、ほぼ巻添えで当たり前のように、全国大会常連の学校に出稽古に行ってはボコボコにされていました。よくこういう流れの話では、「今思えばすごくいい経験をさせてもらってた」なんて言っている人を見ますが、そんなに良い人ぶらないで、正直に「今思っても嫌だったし、訳わからない」と言えばいいのにと思うところです。ですが、きつい出稽古に行ってたとはいえ、監督の計らいで2部連のうちの片方だけに参加させてもらっていたので、そう言った意味ではまだ優しさがありました。ところで、このような優しさ溢れる練習をさせてくれた大阪星光の監督ですが、僕はその監督にサモア人という光栄なあだ名をつけて頂きました。理由はサモア人みたいな顔と体型だからです。つまりは偏見です。本当のサモア人に申し訳ないぐらいです。ちなみに、中高の同級生からはシュレックというあだ名で6年間呼ばれていて、もしこの文章を読んでいる方の周りで変なあだ名をつけられて悩んでいる人がいればぜひ僕のあだ名の話をして欲しいぐらいです。

こんな変なあだ名ばかりつけられる僕ですが、高校時代に国際物理オリンピックに出場し、全世界の高校生相手に2年連続銀メダルを取りました。そんなこともあり、東大には推薦で合格しました。推薦の選考過程には書類選考と面接があるのですが、その面接の時に、よほど柔道をやっていた学生が推薦を目指す人の中で少なかったのか、1時間弱の面接のうち20分ぐらい柔道の話をしました。面接が終わった後は柔道推薦に来たのかなという感覚でした。なので実質僕は、東大の柔道推薦と考えていただいて大丈夫です。

そんなこともあり無事に入学からは、一時は勉学に力を入れて、数学や物理を勉強していましたが、やはり柔道がしたいと強く思うようになり、入部を決意しました。

僕の一個人としての感覚では、柔道も物理などの勉強も日々の鍛錬という面から見ると同じだと思っていて、基本的なスタンスとして、しんどくて辛いことを超楽しいと自己暗示しながらコツコツ稽古もしくは勉強していき、大事な試合もしくは研究でいかに良い結果を残すかに全てを賭ける。そこに至るまでには普通の人には想像もつかないような、努力や苦しみ、しんどさがあると思います。文武両道とは相反する二つを独立に磨くのではなく、互いに他を補って、かつ強め合うことで、共に同時に昇進していく。それこそが本当の文武両道であると考えていますし、僕はそれを目指します。

思ったよりかっこいいことを書いてしまいましたが、実際高校時代に本当につらい練習を耐え、それに加えて同時並行で勉学も続けてきました。文武の両方が1番忙しい時期には、胃潰瘍になったりもしました。それでもやめなかった当時に培われた精神力や体力は、ここ数ヶ月で取り戻しつつあります。大学で新たにできた仲間と共に、しんどい練習に耐え、切磋琢磨して高みを目指しより強くより賢くなりたいと思います。

こんな文章を読んでいただきありがとうございました。