さらば七徳堂

どーも、四年の麻生です。先日、最後(?)の七大戦を終え引退しました。(?)をつけた意味はお察しください。現在、新キャプテンの岡くんと交渉中です。僕の意思としてはもう出るつもりはありません。
せっかくですのでものすごーく長くなりますが現役時代を振り返ろうと思います。

一年生の四月、中高で5年間柔道をして、しかし公式戦では通算2回しか勝つことのできなかった僕はその不完全燃焼感を払拭するため東大柔道部の門を叩きました。
勉学に励んで東大に来た学生たちとなら自分もそんなに負けることはないのではないか。旧帝大のみで争われる七大戦でならこれまでよりも勝つことができるのではないか。そんなことを考えながら初めての練習に行った記憶があります。
しかし、いざ道場にいくと一緒に案内された新入生は90kgをこえる樽のような体をした男(東條)、なんかグニャグニャして動きのいい男前(福島)、奈良県ベスト4の坊主(中村)と想像よりずっと強そうで、「練習ついていけるかなー。別の部にしようかなー。」とビビり倒しました。
そして練習が始まり、アップと打ち込みの後に寝技の乱取りが始まりました。七大戦が寝技中心の大会であることはなんとなく聞いていました。僕は立ち技にはかけらの自信もありませんでしたが、中高と寝技の練習が好きで人より多めにやってきていたので少し自信がありました。
「一本目やろうか。」
と声をかけていただいた先輩は白帯で小太りの弱そうな中年っぽい人(金田先輩)でした。テント列か何かでその先輩が大学で柔道をはじめたこと、しかも中高での運動経験もないことは聞いていましたので、「これは何としても一本とってやろう!」と思いました。先輩が下になる形を選ばれたので、足を抑えながら左右に回ろうとします。しかし、どういうわけか足が越えられません。気がつくと亀にされ、後ろを取られました。首だけ守っておけば大丈夫だろうとタカをくくっていると、体を伸ばされ腰をきめられ手で首を守ることができません。絞め手が左右からニュルニュルと入ってきて、首を絞められました。手でタップすることもできないので、「参りました。」と口で伝えました。
これは僕にとっては衝撃的でかつ屈辱的なことでした。5年間下手くそなりに好きでやってきた柔道で、唯一自信のあった寝技で、大学の1年間以外ロクに運動もしていない初心者の先輩に負けるとはかけらも思っていませんでした。しかも、降参の言葉を自分の口で発さなければいけなかった。これ以上の屈辱はありません。と同時に自分が知らなかった寝技の奥深さを知り、東大柔道部の育成力の高さにも驚きました。ここでなら自分も強くなれると思い、入部を決めました。
そして、白帯ながら自分のプライドを打ち砕いた弱そうで強い金田先輩の舎弟になることも即決しました。この関係は後述する中断期間を除いて今も継続しています。

はじめての七大戦は衝撃でした。いつも市内大会の序盤でまけていた自分はあれだけの熱量の試合を身近に感じたことがありませんでした。「来年はこの試合に出て、チームの力になれるよう頑張ろう。」と山中さん、木下さんの涙をみて思いました。

一年の頃の練習はとても辛かった記憶があります。先輩にボコボコにされ続ける日々でした。練習後の飯トレも嫌でした。冬の長期練習では当時エアコンのなかった部室で昼休憩の時間に心が折れかけたのも一度や二度ではありませんでした。
「この苦行を白帯スタートで耐えた金田先輩はすごいなー。ついていこうと選んだ人は間違っていなかったなー。」と思いました。
練習と飯トレはつらかったですが、先輩方は明るく優しかったので柔道が嫌になることはありませんでした。そして強くなっているという実感もありました。たまに極まる関節技と絞め技が僕にとっては心の支えでした。

二年はわりとつらいことが多かったです。四月に指を怪我して、6月半ばまで柔道ができず、復帰した直後にまた肩を負傷。病院では大したことないといわれ、七月の七大戦に1試合出場。やはり肩が痛み2試合目は外してもらいました。お世話になった阪田さんたちの代に恩返しできず申し訳なかったです。
試合後、東京に戻って再度診察してもらうと脱臼と診断され、手術を勧められました。実際乱取り中に肩が度々はずれて練習にならなかったので手術することにしました。八月のことでした。「焦るな、焦るな」と自分に言い聞かせました。
そこから12月くらいまでは部活に通いながら筋トレをしていました。しかし当時は知識が十分でなくあまり成果が出ませんでした。ただのデブと化しました。そして12月のある日、急に心が折れました。
「この小さな体で、練習をしてはケガばかり、全然強くなっていない。自分には才能がないのではないか?四年生になっても主力にはとてもなれないのではないか?自分より重い相手とばかりやっているから怪我をするのではないか?別の階級制競技に挑戦した方が幸せなのではないか?」
今思えば、ストレッチなど体のメンテナンスや筋トレで壊れない体をつくることを疎かにしていたので、ややずれた考えな気もします。しかし当時は頭の中でこんな言葉がずっとこだましていました。そして特になんのきっかけもなく心は折れました。山添の家で岡とかと飲み会をしていた日だった気がします。急に「柔道部やめよう」と思いました。
実際にやめてしまった後はそれまでも趣味でやっていたブラジリアン柔術の道場に通いました。すごく温かい道場で、道場内では若手の僕は大変可愛がっていただきました。というか、現在進行形で可愛がっていただいております。自分より体の小さいおじさん方にボコボコにされる体験は入部して以来の衝撃でした。ただ、同年代のライバルと毎日バチバチやるような環境ではないことが少し寂しかったです。

そうして本来なら出場していたはずの入学してから3度目の七大戦がやってきました。大学の学生控え室でソファに寝っ転がりながら七帝柔道速報というツイッターアカウントで結果を追っていました。肝心な時に辞めた立場でいうのは本当に身勝手なのですが、昨年の悠志さん率いるチームは本当に強かったです。優勝すると思っていました。少なくとも2日目に残るのは間違いないと思っていました。だから最下位という結果は信じられませんでした。とても悔しく思いました。「あれだけ努力している人たちがどうして報われないんだ。」と逃げた人間が身勝手な怒りを行き場なく爆発させていました。
その折に主将になった福島から「戻ってこないか」と声をかけていただきました。「何もできずに悔しいと感じるくらいなら、戻ってチームの力になりたい」と思い、再入部させていただきました。勝負の場から一度逃げた人間を温かく迎え入れてくださり、本当に嬉しかったです。とくに悠志さんの代の先輩方は内心はらわたの煮えくりかえる思いがあったと思いますが、おくびにも出さず接していただきありがとうございました。

さて戻ってきてからはまた同期にボコボコにされる日々でした。なんなら後輩でも岡なんかにはボコボコにされ、なかなか格好はつきませんでした。でも辞めていた期間にやっていた柔術も自分の中では少しずつ形になっており手応えも感じていました。
そんなときに今度は腰が壊れました。ひどいときには歩くこともままならず、「何しに戻ってきたんやろ?」と自傷的に笑ってました。
それでもさすがにもう辞めようとは思いませんでした。軽口を叩き合う同期が大好きでしたし、慕ってくれる後輩もできました。スマートでかっこいい背中は見せられなくても、悩みながらも進む背中を見せて彼らにも悩みながら進んでもらえればいいなと思いました。

上記の理由で練習は納得のいくほどにできていなかったので七大前はずっと不安でした。チームの中で分け役というポジションを明確に与えられていましたが、他大の取り役と分けきる自信は正直ありませんでした。技術面では成長したという自信も多少ありましたが、怠け者だったからかフィジカル面は十分とはいえず、とくに弱いのは精神面だと自覚していました。分けきる保証のない分け役ということで監督にとっては使いにくい駒だったとおもいます。
七大一週間前はその弱い精神面を鍛えるべく柔道部物語式メンタルトレーニングを行なっていました。「俺って天才だー。俺ってストロングだぜー。俺って馬鹿だー。」と各所で叫んでいました。
七大本番は思っていたほど緊張しませんでした。なるようになるだろうと思えました。これは上の柔道部物語式メンタルトレーニングの効果もありますが、それ以上にチームとして強いという自信があったからだと思います。うちの15人の誰一人としてあっさり負けてくる姿が想像できませんでした。
「四年生として全力を尽くす。それでも万が一自分がしくじったら、周りがなんとか帳尻をあわせてくれる。それほど強いチームだ。」
そう思えました。だからチキンハートの僕が堂々と試合場に上がれました。

この写真をみたら僕がどれほど堂々としていたか、わかると思います。一人で東北大全員を相手にしようとしているかのようですね。(アクシデントで対戦相手の道着がやぶれ、着替えている時の写真です。このとき福島がしきりに「麻生、お前ストロングだからなー。いけるぞ。」と言っていて思わず笑ってしまいました。)

結果として僕の試合は2試合とも他大の堅い分け役との分け役バトルになりました。僕の実力でとるのは難しいとも思いましたが、少しでも攻めてチームを勢いづけよう、と思いました。結局二人ともむちゃくちゃ堅くて何もさせてもらえませんでした。残念。かっこいいところ見せられなくてごめんね、後輩たち。
試合後のレセプション会場で他大の人たちが「今年の東大はつよかった。警戒していた。」としきりに言ってくれて、優勝には届かず決勝戦にもたどり着けませんでしたが、とても誇らしく思えました。個人としても、「全然試合に出ていない僕は他大では誰にも知られてないだろう」と思っていたので何人かに少し褒めていただいてとても嬉しかったです。お世辞もあるでしょうが、素直に喜びます。戻ってきて本当によかった。苦労も報われました。

ようやく現役時代の振り返りが終わりました。長すぎるので後輩へのメッセージなどは部誌にでも別でかきます。師範、前師範、部長、前部長、コーチ、トレーナーさん、監督、OBの方々をはじめ支えてくださった全ての方々ありがとうございました。おかげさまで立ち止まったり道に迷ったりしながらもなんとか現役の三年三ヶ月を終えることができました。
自分は思い描いていたほど良い選手にはなれませんでした。それでも後悔はありません。そう思えるのは仲間に恵まれたとおもいます。もう普通の柔道をやることはありませんが、寝技は好きなので続けていきます。自分のペースでゆっくりと強くなっていきます。そしてその限り僕の中には東大柔道部スピリットが生き続けるでしょう。東大柔道部ありがとう。
これからは夜の寝技も頑張るぜ。

引退しました。

4年の德永です。

さる7月7日、私は最後の試合を終え、引退しました。正直試合の直後は引退したという実感があまり湧いておらず、何かよくわからない気分でした。山添が4年生のためにものすごい勢いで泣いてくれて、あまりの勢いに少し笑ってしまったのを覚えています。

1日目に、私たちは入部して以来ずっと喉から手が出るほど欲しかった1勝を手にしました。試合が終わった瞬間、感極まってしまい、優勝するまでは泣くまいと思っていたのですが、自然と涙が溢れてきました。これまでお世話になってきた先輩方の目の前で、やっとチームとして1勝を手にし、入部以来初めて2日目進出を決められたことが本当に嬉しかったのです。見苦しいところをお見せしてすいませんでした。

しかし、個人としては幹部として取ってくることを期待して送り出されたにもかかわらず、取ることができず、明日こそ幹部の仕事を果たして優勝するぞ、と気持ちを入れ直しました。それなのに、私は結局最後まで仕事を果たすことはできませんでした。この1年間、ずっと取り役になることを期待されて、私もそれを目指して練習してきたつもりでした。しかし、最後の最後で東北戦で2人目に瞬殺され、のびのび活躍させてやれるはずだった真野に尻拭いをさせてしまったのは、ひとえに私の練習への姿勢の甘さ、気持ちの弱さが原因であり、チームの足を引っ張ってしまったことへの悔しさや申し訳なさが、試合の後からどんどん大きくなっています。このチームは優勝を狙えるチームだったと思いますし、その力はありました。後輩たちは本当にいい試合をしてくれただけに、チームの皆には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

後輩たちはすでに新たな体制となり、来年の七大戦優勝を目指して頑張っています。後輩たちは本当に強いので、来年こそは優勝できると思います。岡主将の練習は非常にきついと思いますが、私も時々練習に行ったりして、後輩たちの成長をできるだけ手助けしたいです。

最後に、お世話になった先生方、先輩方、同期の皆、後輩たちには誠に感謝しております。本当にありがとうございました。最後に悔いを残してしまいましたが、幸せな3年と3ヶ月でした。今後の現役部員たちの成長、活躍を心から願っています。

7/7

七大本番3週間前。

ありえない方向に折れ曲がった指を見て、あまりのショックに道場のど真ん中でめまいを起こし倒れてしまった。

チームの士気を下げてしまう行為だ。あそこで心の平静を保てなかったことは今でも反省している。

診断は右薬指完全脱臼および側副靭帯損傷。医師からは2ヶ月間の安静と運動禁止を言い渡された。

もう無理だ、終わったと思った。

かれこれ10年ほど柔道をやってきた身だ。気持ちだけではどうにもならないことがあることは自分が一番わかっていた。

しかし。僕は人に恵まれた。たくさんの言葉をもらった。

「苦しくなってからが勝負だよ」
「柔道は相手との勝ち負けじゃない、自分との勝負だから」

まさにこういう言葉が欲しかった。残り少ないがやれるだけやってみよう。

特にトレーナーの久我さんには本当にお世話になった。忙しい中、最後まで僕のわがままを聞いて道場まで治療に来てくれた。

試合3日前になっても柔道着を握ることができない状態であったが、不思議と絶望はなかった。試合に出て、今まで支えてくれた全ての人へ恩返しをしなければならない。

それにモチベーションもあった。ぶっつけ本番での調整だったが、「俺はやれる」ということをみんなに見せたかった。

そして七大戦本番。本調子には程遠かったが、なんとかチームの一員として試合に出ることができた。

何より入部して初めての、願ってやまなかった七大戦での勝利を手に入れることができた。準決勝は紙一重だったが、出し切ったといってもいい。

怪我をしたのが遠い昔のようだ。奇跡のような3週間であった。本当に。幸せだった。こんな経験をさせてくれたチームのみんな、今まで指導してくれた先生方、先輩方、レベル差などかけ離れているのに、嫌な顔一つせず何度も稽古をつけてくれた日本大学柔道部の皆さん、僕と関わってくれた全ての人に本当に感謝している。

改めてここまで自分の話ばかり書いてきたが、本当にチームとして勝ててよかったと思う。試合後、何人かの後輩たちが今までありがとうございました、と声をかけてきた。優勝できなかったという悔しさこそ滲み出ていたが、みな自分たちの試合に納得しているようだった。

これでよかった。過去3年間、散々お世話になったのにも関わらず、1勝もできずに去っていった先輩方に対してなんと声をかけていいのか、本当にわからなかったのだから。

東京大学柔道部4年 東條 裕紀