勝浦合宿に行ってきました

こんにちは。2年の德永です。
2月19日から22日の4日間、千葉県の勝浦に合宿に行ってきましたのでご報告させていただきます。去年の中村くんのブログと同じく、日記風に出来事を振り返りたいと思います。
〈前日譚〉
勝浦に行くまでの平日。勝浦では毎朝階段ランニングをするので、前もって普段の春練で階段を走っておきます。ここで階段に慣れ、勝浦の合宿をみんなで乗り切ろうというわけです。僕は去年も勝浦に行ったので、階段なんてもう慣れたぜ、などとたかを括っていましたが、甘かったです。近頃体重が増えたこともあり、足取りが重くてたまらないのです。階段から帰る途中で何度も足がつりそうになりました。先が思いやられます。
〈1日目〉
いざ勝浦へ出発します。行きのバスで暇なので、ここぞとばかりに持参したDSをプレイします。しかし、このDSは結局合宿中に二度とプレイすることはありませんでした。
勝浦に到着すると、まずは腹ごしらえです。勝浦へ来たからには必ず行っておきたい店があります。そう、勝浦タンタン麺で名を馳せるてっぱつやです。僕たちは中村くんの、激辛勝浦タンタン麺との死闘を楽しみに、店に入ったのでした。

↑去年の中村くんです。

しかし、僕がラーメンをすすっていると、なんと中村くんは勝浦タンタン麺をペロリと平らげてしまっていたのでした。この1年の間に、彼はスープをあまり啜らずに食べるという、勝浦タンタン麺の攻略法を見つけていたのでした。同期の成長が嬉しいような物足りないような複雑な感情を抱きつつ、武道センターに到着しました。
肝心の練習ですが、1日目は最初ということもあり、少なめのメニューでした。
〈2日目、3日目〉
この2日間は、早朝の階段ランニング、午前は引き込み返し、午後は立ち技の練習、とほぼ同じメニューでした。7時からランニング、10時から午前練、14時から午後練と、昨年より早い時間でした。
勝浦の朝は早い。ランニングではいつもの神社で走りました。この神社では、2月23日から階段を用いてひな祭りをしていたらしいのですが、タッチの差で見ることが出来ず、残念でした。
午前は引き込み返しの反復練習をしました。何度も繰り返すうち、畳に手の甲が擦れた拍子に皮がむけてしまい、痛かったです。この時ほどオキシドールが恋しいと思ったことはありませんでした。
午後は移動打ち込みをした後、投げ込みをしました。この投げ込みが1番しんどかったです。二列になってぐるぐる回りながら2人1組で投げ込みをしましたが、季節柄、冷えて硬くなった畳が痛みを増幅させます。何度も繰り返すうち、「ああ神様、この投げ込みはいつまで続くのでしょうか」となんとも情けない感情が浮かんできました。ですが、どんな事にも終わりはあります。投げ込みを終え、一旦5分休憩に入りました。次はどんな練習だろうか。ある後輩は「絶対に乱取りっすよ。間違いないっす」などと言い、僕もそんな気がしていました。そして休憩が終わると、再び投げ込みが始まったのでした。
〈最終日〉
この日の早朝ランニングでは、これまでと違うコースを通りました。勝浦の名所、官軍塚です。ここには長年その用途が分かっていなかった遺跡がありましたが、最近の研究で、これはどうやら二次大戦の際に日本軍が実験していたレーダーの跡だと判明したようです。僕たちは、勝浦の歴史や英霊の御霊に思いを馳せつつ階段ランニングをしました。
さて、この日の午後は勝浦のメインイベントがありました。寒中水泳です。昨年は海がしけてしまい入れなかったので、今年は密かに楽しみにしていました。海岸へ行くと、久々の海に心が踊り、水切りなどをして童心にかえることができました。このように、海岸へ到着した当初こそ皆楽しそうでしたが、いざ海へ入る段になるとあまりの寒さに凍えていました。無理もありません。2月なのですから。しかし、服を脱いでも僕は寒さには動じません。これこそ、雪に閉ざされた極寒の大地で生まれ育った我ら道産子の唯一と言っても良い強みなのです。その後はしばし海の中で遊び回り、皆で今年の抱負を宣言しました。個人的にはとても楽しい寒中水泳でした。

近くのホテルでゆったりと温泉に浸かった後は、研修センターに戻り、最後のイベントであるバーベキューをしました。師範が持ってきてくださったお酒、肉、かつおはどれもとても美味しく、楽しく酒盛りをすることができました。特に勝浦名物のかつおはほっぺたが落ちるほどでした。

合宿を通して、練習はしんどかったですが、楽しいことも多々あり、部員たちの青春の1ページとして刻み込まれたのではないでしょうか。こうして合宿に来ることは、師範のお力添え無くしては出来ないことです。数多くのご指導、ありがとうございました。また、OB、OGの方々の援助があってこその遠征や合宿です。ありがとうございます。これからも何卒よろしくお願いいたします。

そして勝浦の地へ別れを告げるとき、僕の目には不思議と涙が溢れてくるのでした。